帯広の名物グルメはいろいろありますが、中でも「豚丼」を挙げる人は多いのではないでしょうか。今や全国的にも有名になった豚丼の存在。その生みの親が、帯広にある「元祖 豚丼のぱんちょう」の初代・阿部秀司(ひでし)さんでした。一体どのようにしてあの豚丼の味が誕生したのか、教えてもらいました。
ぱんちょうが創業したのは、昭和8年1月のこと。豚丼専門店ではなく、食堂からのスタートでした。とはいえ、豚丼は看板メニューとして当初から存在していました。「十勝の豚肉を使って、庶民でも気軽に食べられるおいしいものをつくりたい!」という熱い思いで、秀司さんは創業前から試行錯誤を繰り返していたのです。
そこで目を付けたのが、当時から日本人が大好きだった鰻丼でした。鰻丼と同じ醤油ベースの味付けで、しかも鰻丼を越えるほどのおいしさを目指し、秀司さんは豚丼を完成させたのです。
苦労して豚丼の味を作り上げた秀司さんでしたが、商標登録などは一切しませんでした。そのため、秀司さんの仲間たちがそれぞれに豚丼を作ってそれぞれの店で出すようになり、豚丼はやがて帯広名物となるほどに広がっていきました。実は、それこそが秀司さんの願いで、だからこそあえて商標登録を行わなかったのです。
ぱんちょうの豚丼は、創業当初から変わらない味を受け継いでいます。タレの味も、作り方も、まったく同じ。ただ、そのレシピは門外不出で、現在では秀司さんの次男である三代目と、孫である四代目しか知りません。また「自分自身のできる範囲で商売をやりなさい」というのも秀司さんの教えだといいます。人任せの商売をすれば、味が変わることは必至。だからぱんちょうは、今でも支店を出したり物産展に参加したりすることは決してありません。
まさに一子相伝で、ぱんちょうの豚丼の味は愚直に守り続けられているのです。あまりの豚丼人気に、食堂だったぱんちょうは昭和40年代後半からは豚丼専門店になりました。冷凍肉を使わず生肉を炭火で網焼きにして、秘伝のタレに絡める。この豚丼を目当てに、たくさんのお客さんが今日も暖簾をくぐります。
ここでちょっとした豆知識。店名の「ぱんちょう」とは、どこから付いたのでしょう? ……答えは、中国語の「飯亭」。これをもじって「ぱんちょう」と読むようにしました。さらに豆知識をもうひとつ。ぱんちょうでは、豚丼のメニューが、松900円、竹1000円、梅1100円(すべて税込)となっています。普通とは松竹梅が逆なのは、なぜなのでしょう? ……答えは、初代の奥さまの名前が「うめ」さんだから。なんとも、愛を感じる理由です。ちなみに梅の上には華1300円というメニューもあるのですが、これは元々「特」だったのを、女性でも注文しやすいようにと「華」という名に変えられたとのこと。やはり、愛を感じますね。
帯広の豚丼の歴史がここからはじまり、広がっていったと思えば、より一層味わい深いものに感じられるかもしれません。帯広を訪れた際は、ぜひぱんちょうに立ち寄って、愛にあふれる豚丼を頬張ってみてください。