十勝帯広には、さまざまな泉質の温泉が湧き出ていて、市民に親しまれています。中には珍しい泉質のものもあり、全国の温泉ファンから注目されているのだとか。それにしても、帯広には一体いつ頃からこれほどたくさんの温泉があったのでしょうか。歴史のページをめくっていけば、温泉を掘り当てようと夢見た人々の情熱、そして市井の人々の生活が透けて見えてくるようで……。帯広百年記念館学芸員の大和田努さんに、その歩みを教えていただきました。 (トップ写真提供:帯広百年記念館)
帯広の銭湯のはじまりは、明治28年、北海道集治監十勝分監前に設置されていた無名の銭湯だとされています。そこから明治末には5軒、昭和6年には18軒と、銭湯は増加。昭和54年ともなれば、31軒もの銭湯が市内で営業していたといいます。
ただし、これらの銭湯は現在のような温泉ではなく、わかし湯でした。それでも各家庭に風呂が普及していなかった時代には、地元民の憩いの場として、大切な役割を果たしていたようです。一方、温泉と天然ガスを目当てとしたボーリングが、昭和39年に音更町で開始されたという「十勝日報」の記事が残っています。
昭和50年頃になると、帯広市内でも温泉を掘り当てたというニュースが広まりました。これを機に、温泉を掘るボーリングが流行。奇しくも家庭の風呂の普及で銭湯業界に陰りが見えていたこともあり、ボーリングに挑戦する人が増加したのです。昭和60年代以降、帯広でも温泉銭湯が次々と出てきました。
もともと銭湯として地元から愛されていた施設も、こうしたボーリング流行の時期に温泉銭湯へとリニューアルを遂げています。たとえば「ローマの泉」では、昭和55年に温泉ボーリングを行ったところ、高温で豊富な湯量の温泉が湧き出しました。一時廃業していた「アサヒ湯」もボーリングに成功し、昭和58年に温泉施設として復活を遂げています。時代の流れと共に変遷を遂げながら、今なおしっかりと歴史を刻んでいるのです。
こうして地元で愛され続ける温泉銭湯は、十勝に根づいてきたわけですが、世界的にも希少な泉質の温泉が十勝にあるのをご存じでしょうか。植物性温泉の「モール温泉」です。太古の時代から長い年月を経て植物が堆積し、生成された亜炭層を通って湧き出てくるという十勝のモール温泉。植物が腐食した有機物が溶け込んでいるそうで、かつてアイヌの人々により「薬の沼」と呼ばれていたことも。平成16年には、北海道遺産にも登録されました。そんなモール温泉を気軽に楽しめるのも、帯広ならではの贅沢だと言えるでしょう。
モール温泉の他にも、さまざまな泉質の湯が湧き出ているのも、帯広の温泉の特徴です。地元民にとっては温泉銭湯が当たり前のように感じるかもしれませんが、これほど多彩な温泉施設が点在している地域は珍しいこと。しかも帯広は入浴料が比較的安価だとも言われ、それもまた、銭湯や温泉の文化が根づいているひとつの理由なのかもしれません。いずれにせよ、帯広に住んでいる人はもちろん、観光で帯広を訪れた人も、温泉に入らなきゃもったいない! ぜひいろいろな湯を試してみたいものです。