札幌の赤れんが庁舎(北海道庁旧本庁舎)を筆頭に、北海道にはレンガ造りの建物が数多く存在します。どこか異国の風をまとって建つそれらの建造物は、それぞれに歴史を持っているようです。帯広は西2条南5丁目に建つ宮本商産の旧本社ビルも、そんな建造物のひとつ。建造の経緯にはひとりの商人の波瀾万丈な人生が関わってきますが、今回は主に建物自体に焦点を当て、その魅力に迫りましょう。
まずは、宮本商産の簡単な紹介から。明治36年(1903)、宮本富次郎氏によって創業された宮本商産は、当初、製麺行業と食料品の小売りを営んでいました。創業者である富次郎氏は、この時なんと19歳という若さ。相場の変動や、友人の保証人になったために背負った多額の債務など、決して順風満帆とばかりにはいかなかったようですが、それでも、持ち前の才覚で商人としての頭角を現していきます。
やがて第一次世界大戦後の好景気の波に乗り、大正元年(1912)に建てていた店舗兼住宅を取り壊し、新たにレンガ造りの社屋を建築します。建築年代については諸説あるということですが、大正7年に着工して翌8年に完成したという説が有力なようです。
縦3尺に横3尺のコンクリートを打ち込んで頑丈な基礎部分を造り、そこに5寸釘の柱を3尺ごとに立てて造ったといい、なるほど、昭和27年(1952)の十勝沖地震の際にもビクともしなかったというのも頷けます。また、温かみのある赤レンガで構成された建物の調和のとれた美しさに、当時、街行く人々も目を見張ったといいます。
建物に使用されたレンガは野幌産。1階が店舗、2階の4室を家族の居間などに利用していましたが、夏は涼しく、冬は暖かかったということです。寒冷地向けとして、北海道には本州より早くから「木骨レンガ造り」が広まっていたということですが、宮本商産ではさらに一部に先進的な化粧貼りの技術なども採用しつつ、まさに風土にあった建物を造り上げたのです。
遡ってみれば明治時代、開拓が急速に進められた十勝地方では、本州とは異なる風土に合わせてまずは欧米風の畑作農業を導入したといいます。試行錯誤と創意工夫によって開拓は推進され、独自の文化を創造していきました。この宮本商産の旧本社ビルも、まさに欧米化線上にある優れた建築のひとつといえるでしょう。
平成15年(2003)までは事務所として実際に使用していたという宮本商産。デザイン性が高く美術上も優れたこの建物は、平成29年(2017)には国の登録有形文化財にも指定されました。
そして現在、幅広く利用してもらおうと、演奏会やコンサートを開催したり、勝毎花火大会の際にはビヤホールになったりと、かつての社屋は新しい道を歩み始めています。
優美でありながら構造上堅牢でもある、優れたレンガ造りの建物。大正から令和へと時代が流れても、常にこの場で帯広の街にあり続けてきました。街を歩く時、改めてこの建物を眺めてみれば、歴史の息吹を感じられるかもしれません。