毎月、東京で十勝への移住相談を気軽に受けることができるイベントが開催されています。相談に乗ってくれるのは北海道十勝の大樹町出身で、Uターンで地域おこし協力隊を3年間務め、その後に、東京と北海道での二拠点居住というライフスタイルをしているという中神美佳さん。移住を考えているライターの相談に乗ってもらいながら、中神さんが移住をしたきっかけなどのお話をお聞きした様子を3回に分けて紹介していきます。
ライター とし
生まれも育ちも東京の30歳。新卒から働いている会社での仕事も8年目を迎え、仕事でもプライベートでも将来を考えてしまう日々。プライベートでは日本全国を旅しながら、いつか地方で仕事がしたいなと考えることが増えてきました。そんな時に友人から「十勝への移住について話を聞いてみないか」とイベントを教えてもらい、移住について具体的な考えやスケジュールが決まっているわけではありませんが、何かのヒントがもらえるのではないかと「移住相談」の扉を開いてみました。私の心の中も合わせて、中神さんのことや移住相談の様子を紹介していきます。
「あ、どうも!こんにちは~」
声をかけてくれたのは金髪の屈託のない笑顔が印象的な柔らかな雰囲気の女性。
元地域おこし協力隊、二拠点居住、パラレルキャリア、イベントの主催、・・そして金髪。まさに今をときめくようなワードが巡り、一体この人はどんな方なのか、どうしてこのような生活をしているのか、様々な興味を持たせてくれる中神さん。早速席に座り、コーヒーを片手に話は進めていくことになりました。
2つの肩書を持つパラレルキャリア
中神さんの現在の肩書きは2つ。
1つ目は北海道での活動主体で、地域おこし協力隊の任期中に地元大樹町で立ち上げた合同会社カミクマワークスの代表。
2つ目は都内に本社がある企業の広報担当。地元で会社を経営している一方、サラリーマンとして東京で企業に所属するという働き方を実践しているそうです。
「カミクマワークスでは、『マーケティングで地域に貢献するという』ミッションで、できることは何でもやるスタンスでやっています。元々大学卒業後に東京の自動車メーカーに就職し、マーケティングの仕事に携わっていました。まさにそこからの経験や能力を今度は地元北海道で生かしている形になりますね」と中神さん。
一方、東京の企業では広報担当として企業や個別ブランドのコミュニケーションに携わる仕事をしているそう。広報は初めての仕事だそうで、彼女自身の新たなチャレンジとして日々働いているそうです。
まさに最近話題になるようなパラレルキャリアを実践されている一方、移動時間も負担になりそうな環境で一体どのようにバランスを取っているのでしょうか。
「それぞれの割合としては、週4日は東京の業務に従事し、それ以外を北海道での仕事に割り当てています。北海道に戻るのは月に1~2回ほどですかね。」
北海道に関わる仕事はイベントなど東京で行うこともあり、また北海道の現地にコーディネーターを置いて中神さんが東京にいながら遠隔で進められる環境を作り、2つの仕事を行っているとのことでした。
地元に戻るきっかけ
では、なぜ東京から北海道にUターンし、今のような仕事の形となっていったのでしょうか。これまでの中神さんのお話を伺ってみることにしました。
「北海道大樹町は人口5700人くらいの小さな町。子供の頃はできないことばかりに目がいってしまって、地元を出たいという思いが強かったんですよね。そこには都会への憧れもあったのだと思います。高校から地元を離れ、札幌の高校、そして東京の大学に進学しました。その頃から、離れて地元の良さに気づき始めましたね。卒業後は東京の大手企業に就職しました。その会社を6年間勤めた後、地域おこし協力隊として、地元に戻ってきました。」
新卒就職時にUターンするということは考えていなかったのでしょうか。
「就職でUターンはしないけれど、なんとなく、いつかは地元に戻りたいなと考えていました。新卒で今帰ってもまだ何もできなさそうだし、せっかく東京に出てきたし…。もっと東京で力をつけてから、いつか北海道に戻ろう。ってとても漠然とした気持ちでしたね。
就職してからUターンを考えたきっかけは何か大きな出来事があった、というわけではないんです。地域に関わる機会を増やしていく中で、地元に貢献したいなという想いが積み上がり温まっていた感じでした。」
地元に貢献したいなという想いが積み上がっていくきっかけは、今後の自身のことを考えた時に芽生えた葛藤がきっかけだったそうです。
「最初にUターンを考えたきっかけは、会社と仕事に関して疑問に感じたことからでした。入社5年目の時に、当時の上司と面談をして今後のキャリアについて考える機会があったんですが、その際に次に行きたい部署ややりたい仕事が答えられなかったんです。それまではちゃんと答えられていたのに。そして、”この会社で次にどうしていきたい”という思いがなくなっていることに気がつきました。また、大手企業ということもあり、中途採用などで新しい人もどんどん入ってくる。良い意味で、”替えが効く仕事” だと思いました。このままここにいるのは違う気がする、でも大手企業で色々安定しているしなかなか今の状況も捨てがたい、どうしよう…という葛藤が芽生え始めたんだと思います」
そんな葛藤を抱えていた頃に、元々自分のやりたいことは生まれ育った地域に貢献できる仕事であり、そもそも地元で人は減っている、その中でやる仕事こそがまさに”替えが効かない仕事”なのではないかと考え始めたと中神さんは言います。
このUターンを考え始めたきっかけを聞いて私は、中神さんがなんとなく心の中で地元のことを考えていた積み重ねが、ふとした葛藤を抱えた時にその答えとして地元、北海道へと導いていったのではないか、と感じたのです。
“地方移住に興味がある”というだけで”なんとなく”この場に来たことを申し訳なく考えていた私は、”なんとなく”から答えが導かれ新たな道が見つかるのではないかと思い、この場に来たことへの申し訳なさと肩の荷が少し下りた気がしました。
そのことを中神さんに伝えると、笑いながら
「こういう場には気楽な気持ちで来てもらえればいいんですよ。なにがきっかけになるかわからないので、なにか迷いがあったら、とりあえず雑談するくらいの気持ちで来ていただければと思っています。考えすぎないで。」
どんどん聞きたいことを聞いてみよう、この場に来て15分で中神さんの人の良さに包み込まれた気がしました。
東京から少しずつ北海道に関わる
自身がやりたいことは生まれ育った地域に貢献できる仕事であると考え始めた中神さんは、”まずは小さく行動する”ことから始めました。
「会社では地元に戻りたいというのを内緒にしていたんです。え、辞めるの?ってなっちゃうので(笑)。そんな中、同僚に地域に関わるイベントに詳しい人がいたので、こっそり『地元に戻りたい』という相談をしてみたところ、都内で地方出身者が集まるイベントがあることを教えてもらい、そのイベントで北海道出身者と繋がることができました。すると、今度は自分たちで北海道をテーマにしたイベントを立ち上げようよ!となり、私はイベント主催の経験もなかったので、最初は受付を手伝ったり椅子を並べたり、小さなことからお手伝いをしていきました。」
地域おこし協力隊や現在では自分の会社で様々なプロジェクトを進めている中神さんも、最初はボランティアとして手伝うことから始めたというのは意外でした。
「それから単位を北海道からもう少し狭めて「十勝」くらいの大きさで何かやれないかと思い、地元の十勝にゆかりのある人々の集まり「十勝ゆかり飲み)というただの飲み会(笑)を東京で開催しました。そこに来ているメンバーは広告代理店のプランナーだったり、IT企業のエンジニアだったりと面白い人が集まっていて。すると若い十勝出身者たちが東京で何やらワイワイやってるらしいぞと、地元の新聞社に取り上げられたりして。東京にいながらでも私にもできることがあるんだな~って思うようになりました。」
そうした小さな行動が出会いを広げていき、より深く地元に関わる機会が巡ってきたと中神さんは言います。
「この取り組みをみてくれていた、地元の企業からアイデアを出して欲しいなどの依頼をいただく機会をいただき、都内でワークショップを開くイベントを開催することができました。すると、日々の生活においてもだんだん地域のことを考える時間が増えていき、もっと本格的に携わりたいという思いも積み上がっていきました。それが移住を決断することに繋がっていったのだと思います。
だから、これといった大きなきっかけではないんです。色々な人と出会ったり話したりそこから様々な経験ができたりしたことが積み重なって、どんどん思いが膨らんでいった感じ。じわじわ温まってきて、ああ、そろそろUターンする時期だなと。」
移住というと”親の跡を継ぐことなった”、”結婚を機に”、など大きなライフイベントに伴うイメージも持っていましたが、中神さんの話を聞いて、むしろ日々の生活の中にきっかけはあり、一つ一つの繋がりから今後の選択肢が増えていくという新しい視点に気づかされることになりました。
第2回は、移住を決意した話や現実的なお金の話などに迫っています。ぜひお楽しみに!
4月29日(月)公開予定!
vol.2 移住の決断とお金の話