屋台というと、お祭りなどで見られる仮設の店舗で、外から気楽に覗き、ふらっと立ち寄れるようなイメージを持っている人が多いことでしょう。また、一時期、全国的に「屋台村」なるものが流行ったのを覚えている人も多いことでしょう。その屋台村ブームの先駆けが、実は帯広にありました。厳しい冬の気候と、屋台。一見あまり相性が良くないようなこの2つが、どうして結びついたのでしょう?
物語は、20世紀の終わりに遡ります。 1990年代、帯広の中心市街地は空洞化が進んでいました。これを何とか食い止め、活気ある街を取り戻したいと、地元の有志が集まりました。
「北の屋台構想は、90年代半ばから始まった都市構想プロジェクトのひとつでした」と当時のことを教えてくれたのは、北の起業広場協同組合の事務局長を務める、松下博典さん。1999年に「屋台」というキーワードに注目し、調査研究を開始しました。
そもそも帯広の街には、かつて多くの「連続市場」が存在していました。路地に露店を並べたパリのパッサージュにも似たマーケットで、帯広独自の商業形態でした。そのひとつ、一条市場は中心街として栄えていましたが、1998年に火災で焼失。跡地はわずか19台の月極駐車場として利用されていました。この駐車場に目を留めたのです。
ここに屋台をズラリと並べ、もう一度にぎわいを取り戻そうと、いよいよ本格的にプロジェクトがスタート。「北の屋台」をオープンするにあたり、いろいろな取り決めも作られていきました。たとえば、応募する際は、必ず本人が説明会に出席すること。面接を受け、契約は1期3年間。契約期間中は支店は出さず、店主が常に店にいる状態にすること。メインメニューは変えないこと……。
「再び面接を受ければ2期目も継続することが可能ですが、できれば3年間のうちに顧客を獲得して資金を貯めて、帯広市内で新たに店を構えるまでに成長してほしい。それが私たちのコンセプトなのです」(松下さん)
こうして北の屋台は、2001年7月にオープン。わずか19台のみの利用だった駐車場に、屋台が軒を連ね、その名も「いきぬき通り」と改められました。
「こんな寒い場所で、屋台なんて無理だろう」と言う人もいましたが、蓋を開けてみれば大盛況! 北の屋台は、今でも1年間におよそ12万組のお客さんが訪れる、地元の人気スポットになったのです。
お客さんのほとんどが地元の人々ですが、夏には観光客が6割ほどを占めます。夏期は月間約1万6000人、冬期でも月間約8000人が訪れるというから驚きます。この北の屋台をモデルとした屋台村が、全国各地に続々と誕生しているのは、いわずもがなです。
北の屋台では、地元十勝の魅力を前面に打ち出したイベントなども頻繁に開催しています。屋台を訪れたものの満員で入れなかったお客さんが、周囲のお店へ流れていくという効果も出てきています。人々の熱気が、笑い声が、どんどん波及していっているのです。
「今でも、毎月のように全国各地の商店街関係者や議員さんたちから、視察の申し込みがあるんですよ」
と、にっこり笑う松下さん。北の屋台は活性化の成功例として、かつての帯広中心市街地と同じ悩みを持つ地方から、注目を集める存在にまでなりました。これから先は、海外からの観光客も受け入れていきたいということで、ますますの賑わいが期待できそうです。