毎月、東京で十勝への移住相談を気軽に受けることができるイベントが開催されています。相談に乗ってくれるのは北海道十勝の大樹町出身で、Uターンで地域おこし協力隊を3年間務め、その後に、東京と北海道での二拠点居住というライフスタイルをしているという中神美佳さん。移住を考えているライターの相談に乗ってもらいながら、中神さんのきっかけなどのお話をお聞きした様子を3回に分けて紹介する今回が第2回です。
ライター とし
生まれも育ちも東京の30歳。新卒から働いている会社での仕事も8年目を迎え、仕事でもプライベートでも将来を考えてしまう日々。プライベートでは日本全国を旅しながら、いつか地方で仕事がしたいなと考えることが増えてきました。そんな時に友人から「十勝への移住について話を聞いてみないか」とイベントを教えてもらい、移住について具体的な考えやスケジュールが決まっているわけではありませんが、何かのヒントがもらえるのではないかと「移住相談」の扉を開いてみました。私の心の中も合わせて、中神さんのことや移住相談の様子を紹介していきます。
1年以内には移住すると決めた
前回、移住を考えるまでに至った経緯を教えてくれた中神さん。それでも移住すること自体が大きなライフイベントであることに変わりはありません。仕事・家族・住環境にも大きな変化がある中で、決断することに悩みなどはなかったのでしょうか。
「移住というのは確かに大きなイベントですよね。仕事や環境も変わるわけですし。1ヶ月くらいは苦しいくらいに悩みました(笑)。最初に地方イベントを関わるようになり、1年半くらいたったときだったと思います。元々は2、3年以内に移住しようかと言っていたんですが、それってずっと『2、3年後に』って言い続けて、結局何も変わらないんじゃないかと考えたんです。だから、自分の中でやりたいことがはっきりしてきたので1年以内には動こうと決めました」
”2、3年以内に決めよう”と漠然と思うことは私もよくありますが、確かにそれは結局毎回それがずっと続いていくだけで前に進めない。なんだか耳が痛い言葉でした。
中神さんの経歴を最初に聞いた時は、『なんだか自分とは違うすごい人』というイメージを持っていましたが、話を聞くにつれて自分と同じように考えたり悩んだりしていた時期もあったのだなと親近感を抱くようになっていました。
1年以内に移住をしようと決断した中神さんは、地元での仕事を探し始めました。しかし、仕事を探したけれどうまく探せない。正確には自分が今までやっていたマーケティングの経験を活かせる職種がなかったのです。
計画が混沌としはじめた時に、知人との会話で運命が変わります。
「プライベートの細切れの時間じゃなくて、週5日をもっと地域のために使いたいと思うようになりました。地元に帰るときの仕事も悩んでいたのでそれも十勝ゆかり飲みのメンバーに相談したら、地域おこし協力隊という方法があるよと言われて。その時にはじめて地域おこし協力隊を知ることになりました。地域貢献に繋がる仕事に魅力を感じ、大樹町でやってみたいと思い、大樹町のホームページを調べてみましたが、大樹町では地域おこし協力隊の募集がありませんでした。」
ちょうど同じ大樹町が地元で、地域おこし協力隊を一緒にやろうと誘ってくれた知人の女性とともに、2人で大樹町役場に足を運びます。「来年の春から雇ってください!」と自分の思いを町に伝えたそうだ。その相手はなんと大樹町の町長。 「小さい町なので町長に直接、会う機会をいただけたという幸運もあります。それにお会いした際に、自分なりに考え、業務内容もこういうことをして貢献したいと相談しました。あとは、現実的な問題として任期満了の3年後の自身の身の振り方は自由なのですが、3年間で次に繋がる様々なことを経験したいので自由に活動できるよう、副業OKにしてもらったり。役場の方々がとても応援してくれたので、たくさんご協力をいただき、地域おこし協力隊として自由に働ける環境をいただくことができました!」
お金という現実的な悩みと発想の転換
悩みという意味では、やはり現実的な問題のことを考えてしまいます。つまり収入に関する不安です。漠然としたイメージで、東京から地方の企業で働く際に、収入が上がるイメージはあまり持てないのも正直なところです。
大手企業で働いていた中神さんにとって同様の不安はなかったのでしょうか。私はある意味一番気になっていたことを思い切って聞いてみました。
「一番最後はお金で悩んで・・」
中神さんの口から語られたのはなんともリアルな言葉でした。
「東京で働いていた時は今の企業で今後給与水準がどのように上がっていくのかもある程度見えている中で、移住をするとなると収入は半分以下になる見通しだったということがわかって、これから先どうしようと思いました(笑)」
移住をした後に収入が変わることを見据えた時に、3年間は辞めずに今の仕事を続けてお金を貯めて準備することも考えたと言います。確かに現状の環境であれば収入の目安もあり、計画的にお金を貯めることができます。環境が変わる不安もあるし”備えあれば憂いなし”と考えるとその選択を選ぶことの方が現実的だと感じます。
しかし、実際には中神さんは3年間を待たずに移住という行動に移しました。その背景には、発想の転換があったのだそうです。
「今稼げるお金よりも、時間の方が大切だと思ったんです。3年間、自分のやりたいことを我慢して働いてお金を貯めることよりも、同じ時間で新しくチャレンジして経験を積む、なんならその3年間で試行錯誤できれば、東京時代の年収に近づけることだってできるかもしれない。時間の方が価値があるのではないか、との思いがあったんです」
また、中神さんが決断できた背景にはもう一つの発想の転換もあったといいます。
「1本の仕事で30万円稼ぐよりも3本の仕事で10万円ずつ稼ぐように収入の柱をいくつか立てるようにすればいい、ということに気づいたことです。これは当時オススメされた『ナリワイをつくる:人生を盗まれない働き方 (著:伊藤 洋志/東京書籍)』からインスピレーションを受けました。
いくつもの仕事をやっていけばトータルの収入は変わらないですし、さらに仕事の幅が広がるので、仕事から得られる経験値も広がっていくという副次作用も期待できます。それなら私にもできるかもしれないし、チャレンジしてみるべきかもしれない。そう考えるようになっていきまました。」
最近は複業の概念が広がってきていますが、それでもまだ一つの会社に属して働いているというのが一般的です。そんな中、中神さんは複数の仕事をするパラレルキャリアを選択することで、収入が減るという課題をクリアしていくチャレンジを選びました。 「あとは、夫の一言ですかね。夫は移住にも寛容で、私のタイミングで(移住して)良いよと言ってくれていました。私が毎日のようにいつ移住すればよいのかと、あれこれ計算しながら悩んでいる時、夫が「みかにとって、そんなにお金って大事なの?」と言ってきたんです。ズキュンときましたね(笑)そうだね、お金よりも、何がやりたいかの方が私にとって大切だったわ!と。そこで腹が決まりました。」
移住して良かったこと
そしてまた一つ。私の移住に対する不安をぶつけることにしました。現実的な課題をクリアしていく道筋を見つけたとしても、移住に対しては気持ちの面での不安が拭いきれないこともあるかもしれません。私に関しては東京出身でUターンとして地元に帰るわけではなく、今までゆかりのない土地に住むことになります。
どうしてもネガティブにも考えてしまいがちな私は、移住に対するポジティブな面を聞きたくなり、中神さんが実際移住して良かったと思うことはなんなのかを聞いてみることにしました。 「実際に地域おこし協力隊として活動する中で、ふるさと納税、宇宙の森フェスという野外フェス(※1)の企画から実行、ロケットベンチャー企業 (※2) のロケット打ち上げの観光資源化、移住支援など様々な出来事に関わっていき、それまで考えていなかった起業するという経験もできました。”地域にはプレイヤーが足りない”ので、人もない、なんならお金も潤沢にない中でどうやって物事を立ち上げるのか、工夫する力や知恵のような、「自力」がついたと思います。」
移住したての頃の中神さんは、ある日自分に足りないものに気づいたそうです。
「移住して数ヶ月くらいかな。私はもともと分析やリサーチをもとにした戦略づくりを専門にしていたので、実行する、という経験がほとんどなくて。最初は人口動態を分析して、パワーポイントで資料ばっかり作っていたんですが、「パワポばっかり作っても何も起きないな」という当たり前のことに気づきました。あとは、失敗するのが怖かったんですよね。東京の大企業からきたのに、たいして何もできない人だなと思われるのが怖くて。チャレンジしなければ、失敗もしないので。でも、このままじゃ何もやらずに終わると思い、それからはうまくいかなくても恥ずかしくてもいいからとにかくやろうと行動するようになりました。」
話を聞いて私は、多くの人が働く会社には組織があり、仕事の範囲がある程度決められた中で働いている現状があり、全てを自分が担う環境は多くはないと気づかされました。
「地域は本当にプレイヤーが足りない、だからその分、一人の存在やできること、インパクトが大きいのが面白いところです。やらなければいけないことはたくさんあるし、人に頼むこともできないから、自分がやるしかない。そして、仕事の幅が必然的に広がります!」と中神さんは言います。
中神さんも地域で活動していく中で、Web制作、取材、撮影、編集、受発注や在庫管理などのオペレーションなど全部を自分でやることなり、気づけばある程度はできるようになっていったといいます。
中神さんが企画から始めた大樹町の宇宙の森フェスも多くのアーティストや参加者が集まるイベントになりました。これも最初は役場の若手職員がフェスをやりたいと意見を出したことから始まり、そのように意思を持った人が手を上げていくことで形になっていったのだそうです。
自分の力で進めることは簡単な道ではないかもしれませんが、そこから得られる幅広い経験は自分にとって大きな財産になるということを中神さんのお話から想像することができました。
また、地方では暮らしそのものを大切にしている文化もあるといいます。
「仕事も大切だけれど、みんな家族との時間を大切にしているのがとても印象的ですね。帰れる時は定時でスパッと帰って、家族とご飯を食べて、夜は趣味や地域の団体の会合で集まるとか。私は蕎麦研究会という10代〜80代までのコミュニティになりゆきで(笑)入っています。蕎麦を打つのがすきなひと、食べるのがすきなひと。町のお祭りで蕎麦を提供して、そこで稼いだお金で美味しいお蕎麦とお酒を味わうという会です。10代〜80代の人と触れ合うってなかなか都会ではないですよね。地域の方が多様な人に触れられるのが面白いし、みなさん本当に物知りなので、何か手助けが必要な時に相談すると、手を貸してくれたり協力してくれることも多いですよ!」
移住後の仕事の様子や暮らしの様子を細かく話をしていただき、移住に関する具体的なイメージを膨らませることができてきました。最後となる第3回は、ローカルで求められる人材の話や移住前の地域の関わり方などをお話していただきました。実際に移住を前向きに検討している人も、ただ興味があるだけの方も必見のお話です。公開までお待ちください。
相談会終了後の第3回は、十勝帯広の方々のソウルフード「インデアンカレー」をいただくことができました。コクがあってとても美味しいカレー。ぜひ十勝で食べてみたいと思います。
vol.1 移住を考えたきっかけ
第3回は5月6日(月)に公開予定!
※1 宇宙の森フェス
2016、2017年9月に大樹町で開催された野外フェス。大樹町の有志が集まり、会場や出演者、アクティビティなどすべて自分たちで企画・準備を進めて開催された。
(※2) インターステラテクノロジズ
大樹町に拠点を置き、国内初の民間企業による宇宙圏に到達するロケット打ち上げを目指す民間企業。